父が他界したこと、まだまだ夢のように感じることがあります。最後に交わした言葉はなんだったのか思い出します。
「パパ、有り難う。また土曜日ねー。」
一緒に仕事をしていて、帰るときになんだかんだ持って帰れと家庭菜園で作っている野菜や、お買いものの時についでに買ってくれた食材をもたせてくれることがよくありました。その日も、仕事が終わり、野菜をもらって帰るところでした。
もうその土曜日は来ないけれど、感謝の気持ちを伝えることが出来たのが最後の言葉でよかったなぁと思います。
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両親指の関節の痛み、何もせずおさまってきました。息子君と一緒にそれほどハードでもない筋トレをしたせいかもしれません。とにかくおさまってほっとしています。
父の四九日も終わり、やっとテレビが見れるようになりました。それまで、車の中でのラジオの音も不快で、しーんと静まった世界で暮らしていると落ち着きました。
人が死ぬのは意外にあっけなく、今まで張りつめていたものが緩んで、最近は一人になると泣けてくるようになりました。まだまだ父がいなくなった実感がないほどです。いつか涙が枯れてしまえばいいのに、、、と思うほど、一生の中で一番泣いているかもしれません。
時々関節が痛くなったり、足の爪が黒くなったりするけれど、生きていることに感謝し、悲しみは時間を経て薄らぐのを待つことにします。
亡くなった後のお葬式も決めなければいけないことだらけでした。夜に父が亡くなったため、葬儀の段取りは深夜まで及びました。
お通夜、告別式が終わったら、仕事を再開しながら、諸手続きです。とにかく、仕事に必要な諸手続きから始めたのですが、ここで、ぽけーっとしていた私は重要な書類をしまいこんでしまい、その時の記憶が全くなく、また一からやり直したりで、大変でした。
今はやっと先が見えてきましたが、仕事の忙しさは倍増です。忙しいのはしばらく続きそうで、これがストレスかもしれません。でも、父が遺してくれたものとして、何とかやっていければと思っています。
まずは、決めなければいけないことがたくさんありました。本人の意識がなければ、家族が決めなければいけません。生前の父ならどうしたかったか、、、を考えながらの治療方針の決定でした。そして、これでよかったのか、、、の後悔の連続でした。(これも意識のない父に聞いてみましたが、瞬きひとつ無理でした。)
また、血圧が下がってきましたと病院に呼び出されても、また持ち直したとき、いつその場を離れていいのか、誰にも分からず、結局はそれぞれの責任のもと、家族交代で付き添っていました。これがかなり疲れました。泊まるスペースがないため、ソファで一夜を明かしたこともありませいた。
最後に、それでも明日は来るということ。いつかは分からないため、なるべく日常生活に影響しないように、看病出来る人が付き添い、仕事に行く人は行くというスタイルをとりました。徹夜した朝でも、生活は続いています。病院外の世界が別世界のように感じました。
入院中の数日間は、家族それぞれが出来ることをしたという思いは抱けたこと、多分父は苦しまずに逝ったことが幸いです。
疲れの原因、父が亡くなり、自分の仕事を辞めれないまま、父の仕事も引き継いでいるせかもしれません。
倒れてから数日間、意識がもどることなく、他界しました。入院中は何度も呼び出され、待合室のソファで一晩過ごし、シャワーを浴びに外に出ると、また呼び出され、話すことのない父と一緒に病室で過ごしました。
倒れたと聞いて病院へ駆けつけた時は、ドラマをみているような感覚で、実感がありませんでした。検査が終了し、手の施しようがないと聞いても、朝起きたら目が明いているのではないかという淡い期待もしました。
あの時間は何だったのだろうと、不思議でなりません。父は私に何か伝えたかったのか、誰かに会いたかったのか、話しかけても話しかけても答えが返ってくるわけもなく、ただただ父に「有り難う。」と伝えれたことだけはよかったと思えました。
昨日の朝、左親指の付け根の関節が痛く、腫れて発赤していることに気付きました。日常生活には支障はないものの、押さえると痛い!
で、今朝からは右親指の付け根関節が赤くはないものの痛い、、、息子君と一緒に手に負荷がかかるような運動をしたせいかなぁと思いたいのですが、最近ストレスが多く、疲れがたまっているせいかもしれません。
休みたいのは山々ですが、まだもう少し忙しい日が続きそうです。週明けもずっと続くようならとりあえず整形外科へ走ろうかなぁと思っています。